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研究

コメンタリー

2014/04/21

米国はアジアにおける同盟国の核武装を容認すべきか?(福田潤一研究員)


nuke-bomb.jpg 最近のThe National Interest誌(電子版)に面白い議論が載っている。かいつまんで要約すると次のような主張である。


「米国はグローバルな核の不拡散を追及するが、中東とアジアを同一視しない方が良いのではないか。イランやサウジアラビアの核武装を望まないことは、日韓豪の核武装を望まないことと同義なのか。いや、中国の通常戦力が強化される中で、アジアの同盟国の核武装オプションを排除することは、米国が中国との極めてコストの高い通常戦力における軍拡競争に付き合わざるを得なくなることを意味するのではないか。それよりはアジアの同盟国に核武装の選択肢を認め、安価な安全保障の手段を追及した方が良いのではないか...。」


 米国はグローバルには「不拡散」の目標を追及しているが、アジアの安全保障環境の変化は米国に「地政学」からの判断を求めつつある。上記の議論は「不拡散」vs「地政学」のジレンマの中で、米国は「地政学」を優先させることを考えるべきではないかという議論の一つである。こうした議論は最近、米国でしばしば語られている


 国防予算の大幅削減の状況下、エア・シー・バトル構想等に代表される通常戦力面の拡大抑止の信頼性強化のコスト増に米国は及び腰になっており、ならば同盟国の核武装容認を...という声が米国有識者の間で強くなりつつあるのかもしれない。


 米国が国防上のリソース制約のためにアジア太平洋方面で求められる通常戦力の強化を満足に行えないとするならば、相対的に安価な抑止手段として核兵器への依存に活路を見出すという発想には確かに理がある。同盟国自身がそうした抑止努力を行ってくれるのならば、結構な話ではないかという訳である。


 しかし、こうした議論はいわば米国の身勝手な主張であり、本質的には通常戦力面での拡大抑止の信頼性にマイナスの影響を与える可能性がある。大きな問題の一つは、核兵器の存在は必ずしも通常戦力や非正規戦力による侵略行動を抑止しない、ということである。エスカレーションの高い次元における兵器の存在は、エスカレーションの低い次元における侵略の抑止を必ずしも意味しないのである。


 例えば、日本が核武装してそれで中国の尖閣諸島における漸進的な挑発行動(creeping expansionism)を防げるであろうか。中国のグレーゾーンあるいはローエンドでの挑発行為に対して仮に日本が核反撃の威嚇をもって抑止を試みたとしても、中国から見ればそのような脅しには信頼性がないと見えるだろう。なぜならば中国に核使用すると威嚇することは、当然中国からの核反撃を招きかねないからである。


 中国としては、日本がそれほど急激な紛争のエスカレーションを行う可能性は低い、威嚇が為されても実際に核使用される可能性は乏しい、と考える可能性が高いだろう。日本は尖閣を守るために東京を犠牲にする覚悟がある、と中国に対して説得的に姿勢表明することが果たしてできるだろうか?


 これは本質的には1950年代末に米国の大量報復戦略が破綻したのと同じ論理である。当時の米国はアイゼンハワー政権の下で財政保守主義を掲げ、通常戦力の肥大化を抑え、安上がりな抑止力として核兵器に依存した結果、大量報復(massive retaliation)戦略を採用するに至った。しかし、この戦略では共産勢力の挑発行動を抑止できないことは二度に渡る台湾海峡危機(1954, 1958)の結果、明らかとなった。


 なぜならばこの時、中国は米国が台湾の金門島や馬祖島を防衛するために核戦争の危険を犯すことはあるまい、と考えて挑発行動に出たからである。大量報復戦略ではこうした限定戦争を抑止することが困難であることが明らかになったのであった。その結果、米国は1960年代に大量報復戦略に代わって通常戦力におけるエスカレーションにも対応した柔軟反応戦略を採用することとなる。


 これと同じように、現在の日本も核兵器の威嚇を持って中国の尖閣における挑発行動を抑止することはできないだろう。いや、よりレベルの高い(ハイエンドの)中国の通常戦力による攻撃すら抑止することは困難かもしれない。今日、核兵器の先行使用(first use)の道義的コストはかつてより遥かに高いものとなっている。通常戦力による侵略行為があったからと言って、これに(戦術)核兵器の使用で応じることは、道義面から見て容易なことではない。


 そう考えるならば、「米国には通常戦力面で拡大抑止の信頼性を維持する余裕がないので、同盟国に核武装を認めて安価な抑止を実現する」という考え方は成立しないことが明らかになる。こうした議論は抑止戦略のイロハを無視した短絡的思考である。核兵器が抑止力の究極部分を構成することは間違いないが、核兵器の保有が全ての挑発行動、侵略行動を抑止する訳ではない。


 よって、同盟国の核武装を認めれば万事問題なしという議論には、残念ながら、とにもかくにも同盟国の自立を促して米国の負担を軽減したいという、最近流行の米国のご都合主義を感じざるを得ないのである。日米は、通常戦力面での(拡大)抑止力強化に向けた緊密な協力をこれまで通り、継続してゆくべきであろう。

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